3週毎にブログを投稿する。そんな約束を自分に課して、気づけば2年。ここまで続けてこられたことに、心から感謝しています。いつもブログを読んでくださって、本当にありがとうございます。
実は、あと3話を書き終えたら、しばらくブログをお休みしようと思っています。やりたいことが本当にたくさんあって、今はブログにまで手が回らなくなってきました。残りの3話、最後までお付き合いいただけたらとても嬉しいです。
さて、いきなりですが、「好き」と「愛」の違いってなんだと思いますか?
ブッダの言葉を読んでいたとき、ふと目に留まった問いです。「そう言われればそんな深く考えた事ないなぁ」と思いながら読み進めていると、こんなふうに書かれていました。
「花が好きだという時、あなたはそれを引き抜くだけでしょう。しかし、あなたが花を愛していれば、毎日世話をして、毎日水をやるでしょう。 」
「好き」は“自分を満たすもの”であり、「愛」は“相手を満たすもの”。
あなたがこれを理解する事が人生を理解することです。
とありました。
当時は「なるほどね〜」くらいに思っていたのですが、まさか数年後の今、これが腑に落ちる出来事があるとは思いもしませんでした。
なぜ、今になって腑に落ちる事になったのか。
自然に学ぶ、生き方のヒント

きっかけは田んぼを始めようと思ったことでした。始めるにあたってお米の育て方を調べていたとき、お米の育て方よりもまずもっと大切な事を言っている方に出逢いました。
その方が仰っていたのは「人間は本来の植物の強さや自然の流れを見ずガン無視している」ということ。
本来、土の中や表面には生態系=ピラミッドがあるのに、そこを壊してしまうから雑草が生えたり虫が増える。増えた虫は本来はカエルなどが食べてくれるが、その生き物たちがいないから虫を殺してしまわなきゃいけなくなる。自然界は自然界で成り立っているのに人間が余計な手を出してしまう。
これを聞いた時にブッダの話しがリンクしたのです。
自然界のピラミッドがちゃんと機能すれば、植物本来がもつ力(弱い苗は病気にかかりやすかったり虫に食べられやすかったりしますが)で育つ。その自然界を成り立たせるために人間が手助けをする。それだけで良いのに、あえて植物の方に手を出して手を加えてしまう。確かに食物を育てそれを生業にしている方は生産量が第一になる事は致し方ないのかもしれない。が、量産をしなければならないという事にとらわれすぎると大切な物を見落としているのではないのかなぁという、そんな氣がするのです。
この先も“自然”に生きていくために

これは、私の本業である清掃にも同じことが言えます。
現場の数をこなすことが目的になると、1つ1つの作業が疎かになってしまう。もはや楽しむという事は忘れられている。私の中での優先順位の一番は「楽しむ」事。何事もやらされてる事ほど伸びない。楽しむと気づきや発見がある事自体が楽しい。
もともと私は何かに縛られたり、固定される事に向いていないため、1つの作物をずっと作り続けることは向いていないのです。自分がしたいこと、直感で動いていた20歳くらいの私がcome backしてきました。笑
ちょっとした変化を見つけるのが好き、得意なのでその頃の私は自分の長所短所はわかりませんでしたが、今なら少しわかってきた気がしています。
ちょっと話しが脱線してしまいました。
今回お伝えしたかったのは私の主観ではあると思いますが、植物を育てる事、子どもを育てる事、社員など世間一般で大人と呼ばれる歳の方達を育てるのも一緒だなぁと感じています。むしろ子どもだろうが大人だろうが、歳は関係ないなぁと思っています。見た目が小さい(子ども)か大きい(大人)かの違いだけで、内面はとても幼い考えの方もいます。歳を重ねても子どものように天真爛漫で無邪気で興味を持った事を追求し、楽しめる人でありたいと思っています。